プロフィール

はじめまして!

「運命を切り開くカウンセリング」
    七原莉沙(ななはらりさ)です。

私は、夫婦関係、特にモラハラ夫に苦しんでいる女性のためのカウンセリングを
専門にして活動しています。

どうしてカウンセラーになったのか!

私のことをお話しします。

私は24歳で結婚しました。


幸せになる!と思って結婚したはず・・・


それどころかだんだん辛く苦しくなっていく。

抑圧され、支配されてきた生活でした。

我慢!我慢!の日々は
このままずっと続くのだろうか・・・
どうしてこうなってしまったのか・・・
私はそんなにいけない人間なのだろうか・・・
私はどうしてこの人と結婚したんだろう・・・
私はなんのために生きているのだろう・・・

このままでは私の心は壊されていく!

でも・・・

今の状態から抜け出せない!

動けない!

変われない!

私は、すっかり自信をなくして気力を失い、心も不安定になっていったのです。


そうです!大好きで結婚した人が
「モラハラ夫」だったのです。

この暗~いトンネルを後どれくらい進めば
明るい自由な世界へ行けるんだろうか・・・

「もう、、、しんどいよ~ 疲れた~」

私の心は確実に深い傷を負っていたのです。

そんな時、私はある人と出会って、その人に助けられたのです!

その人は、職場の同僚から紹介されたセラピストさんでした。

その方のカウンセリングを数回受け、
自分自身をやさしく癒すことが出来たのです。


その方は、優しく私の気持ちに寄り添ってくれました。

私の思い込み捉え癖をだんだんと無くしていってくれました。

夫がなぜモラハラをするのか?
ということはもういい!

何より・・・

自分自身の明日をみつめて、自分の人生や価値観を取り戻すことができたのです

自分らしく生きることがとても幸せなんだと気付きました。

もし、このセラピストさんに出会っていなかったら・・・
と思うだけで、
今でも涙が止まらなくなってしまいます。

紹介してくれた同僚に、本当に感謝しかありません!



そんな経験を知っている友人から、
私と同じような悩みを持っている人がいるので、
その女性の相談を聞いてくれないかとお願いされました。


最初は躊躇したのですが、私と話すことでその方の気持ちが少しでも軽くなってくれれば!
思って相談を受けることにしました。


私の経験をお話しすることしか出来ませんでしたが、
彼女は、「心が晴れました!もう我慢しなくてもいいんだと自分で思えるようになった」と、
とても明るい表情に変わられました!


その後も数人の方から相談を受けるようになりました。

相談者のモラハラ夫の話を聞いて、
お互いにいっぱい泣いて・・・笑って・・・
そして、相談者が最後には自分を取り戻して笑顔になっていく!


私の一番大切にしている瞬間です!



と同時にこんなに「モラハラ夫」が
いっぱい存在していることに驚きました。



また、いろいろな媒体で「モラハラ」に苦しんでいる女性の記事を
目にするようにもなりました。
みんな私以上にとても苦しい思いをしているんだぁ・・・



我慢しなくてもいいよ!
あなたの人生は旦那さんのものではないよ!
あなたの人生はあなたのもの!



あぁ、、、私に何かできないか!


私と同じ様に苦しんでいる女性の心の痛みを癒すお手伝いがしたい!
そして、穏やかに暮らしてほしい!
と考えるようになりました。


そして心理カウンセリングを学んだのです。

私の様に、長い間、「モラハラ」で苦しむことはしないでほしい!
自分の人生をもっと輝いて生きていってほしい!

諦めないでほしい!




そんな熱い思いでいっぱいです!


ここからはさらに詳しいプロフィールとなります。
ご興味のある方は、最後まで読んでいただけると嬉しいです!

↓ ↓ ↓

幸せな結婚のはずだったのに・・・


現在は夫と二人暮らし、子供は二人いますが自立しています。
そして、現在私たち夫婦はとても穏やかに暮らしています。


でも、こうなるまでには我慢!我慢!の日々でした!
私は、自分の心を殺して暮らしてきました。


夫は、お付き合いしていた頃はとても優しくて、私のことを大切にしてくれていました。
私のわがままも聞いてくれるとっても頼りがいのある人。
この人と結婚したらきっと幸せになれるんだ!と信じていました。




でも、結婚後しばらくして「ちがう!」と気が付きました。
その頃は・・・
本当は性格が合わないのか?


私が夫の事を良いように思っていただけなのか?
だまされたのか?
いや!亭主関白なだけ?
などといろいろ考えても答えは出てこなくて・・・





他人同士が一緒に住んで生活するんだから合わないことがあって当然かぁ・・・
育ってきた環境の違いもあるし、これからはお互いに歩み寄っていったらいいか!
と自分に言い聞かせて暮らしていました。

でも、どうしていつも急に夫が切れるのか?私の何に怒っているのか?
意味が分からない!

なぜ?なぜ?





夫の言動や態度に我慢できなくて、思い切って自分の気持ちを彼に話しました。
きっとわかってくれるはず!
でも、そんな思いは一瞬でどこかへ行ってしまったのです。




夫は逆切れして、暴言を吐き、私のことをこれでもかというほどののしりました。
私はあまりにもショックが大きすぎて、頭の中が真っ白になってしまい、
何も言い返せず、呆然と立ちすくんでいただけ。

この時の夫の態度が、『トラウマ』となり、

その後の私の人生に大きく影響を及ぼすことになりました。

夫は・・・

『モラハラ夫』だったのです!

その時代は、「モラハラ」という言葉はまだありませんでした。
夫の個人的な性格のせい!と思っていました。



毎日、毎日、怒らせないようにと気を使い、
夫の顔色をうかがってばかりの生活もしんどくて、
あれほど好きだった人なのに、一緒にいるのがただただ苦しい・・・


我慢の日々を選んだ私

「もう、ダメだ~ しんどい~」

もう「離婚」するしかないのかと考えましたが、
両親に心配かけるわけにいかない。
何より子供がお腹の中にいたので、
この子のために!「離婚」はできない!と思いとどまりました。

子供が産まれたら、またきっと優しい夫に戻ってくれるはずだと思うようにしたのです。
しかし、その期待もむなしく裏切られました。
夫の「モラハラ」はなくなるどころか、ひどくなる一方でした。

再度、離婚を考えましたが、子供の将来のために私さえ我慢すればいいんだと
「離婚」は封印して、我慢、我慢の生活を自分で選んでしまったんです。
でも何より、離婚して子供を一人で育てていく「覚悟」が私にはなかったという事が、
一番の理由だったのかもしれません!

それからの生活は、私にとっては緊張や不安の繰り返し!
自分の言動に自信を失っていき、言いたいことが言えない。
気力を失い、恐怖やストレスで心が不安定になっていきました。

夫が舌打ちしたり、ドアを乱暴に閉めたり、壁を殴ったりしてビクビクしたり。
夫が怒らないようにと先回りして、機嫌を取らないといけない。
何が原因で怒っているのかがわからなくて常に不安になる。
夫が帰る時間が近づくと、ドキドキして気分が重くなる。

いつしか、そんな状態が当たり前のようになっていきました。
どこかで、優しい夫に戻ってくれるかもしれない。
夫の幼少期は辛い境遇だったので、今でもどうしようもない気持ちを私にぶつけているだけかもしれない。
夫は、私のことを必要としている。
私が支えていかなければ、ダメになってしまう。

毎日しんどいけど、このまま夫との生活を続けていくことが私の人生なのだと思うようになっていきました。


この頃から、「夫婦共依存」が始まっていたのです。

突然、襲ってきた不安障害!

ある日、商業施設のパーク内で下の子を遊ばせていた時のこと。
突然、目の前が真っ暗になり、まわりの音がすべて消えたような感じがして、
動機が激しくなり、息も苦しくなり、このまま死んでしまうの~~
気を失ってしまいました。

幸い、隣にいた方が救急車を呼んでくれたので事なきを得たのですが・・・
その時のことを思い出すと、今でもヒヤっとします。
病院へ搬送されて、お医者さんの診察を受けましたが、原因はわからずでした。

その出来事があってからは、どこかへ出掛けようとすると、
動機が激しくなり、息苦しくなって、立っていることも出来なくなりました。
ひとりで家から一歩も出ることが出来なくなったのです。

その時ばかりは、夫も心配して、診療内科へ連れて行ってくれました。
診断は、「不安障害」でした。



お医者さんから、安定剤を処方されて、あとはストレスのない生活を送るよう言われました。



『ストレス』
ああ、ストレスなのか・・・と何度も何度もつぶやきました。

夫からのモラハラ!



その時初めて、
自分では気が付かないうちに、私の心は深く傷ついて静かに蝕まれていたんだと
気が付きました。
と同時に「恐怖」をおぼえました。


「不安障害」の症状が改善するのに3年ほどかかりました。
薬では治すことはできない。
時間をかけて、焦らずゆっくりと・・・


完全に克服したのは、まだまだずっと後の様に記憶してます。

人に合わせすぎて疲れていた学生時代

話はさかのぼりますが・・・

私は3人兄弟の末っ子で、本当はとても甘えん坊な少女でした。
兄と姉とは歳が離れていて、そんなに遊んだ事が少なかったと記憶してます。



父は自営業をしており、母も毎日忙しく働いていました。
母親に話しかけても、冷たくされ、泣くと怒られていました。
いつしか、母親の顔色ばかり気にして、素直に甘えることが出来なくなってしまいました。



そんな両親の手を煩わしてはいけないと、
子供ながらに「なんでも自分でしなくては!」
と思っていたように記憶しています。
でもずっと寂しかった・・・


私が小学生の頃、父の仕事がうまく回らなくなってしまい、
住んでいた家も手放して引っ越しすることになりました。



当然ながら、小学校も転校です。
転校生ということで、クラスの皆は最初は私に興味本位で寄ってきて、
私のことをチヤホヤしてきました。




でも、そのうち慣れてくると、蜘蛛の子を散らすように離れて行ってしまいました。




「何か、悪いことを言ってしまったのかな?」
訳がわからずに泣いてばかりいました。




学校の休み時間は中庭の花壇でひとりぼっちで過ごすことが多くなりました。
この時が小学校時代で一番辛い時期となりました。

それでも、やっと一人仲のいい友達ができて、とっても嬉しかったのを覚えています。
でも、嬉しくて安心したのもつかの間・・・
父の仕事でまた引っ越し、転校することになりました。




新しい小学校でも、クラスの皆は同じ様に最初は寄ってきますが、
また離れていってしまう。

私は嫌われるタイプなのか・・・
すごく落ち込みました。

そして、またまた3回目の転校。




私はイヤでイヤで仕方がなく、引っ越し先の学校に行きたくないと心の中で叫んではみましたが、親に心配かけることはできないと思い、いやいや学校に行きました。
また、前の学校の様にひとりぼっちになってしまう・・・
それだけはどうしても嫌だ!

その学校では、クラスの皆に意向を合わす!
嫌われないようにする!
そのことだけを意識して過ごすようにしました。



相手の気持ちを察するようにして、
その人の要望を聞き入れて、
自分自身の感情は常は犠牲にする。



嫌いな子にも逆らわず親切にして、イヤなことも笑顔で引き受けるようにしていました。


毎日、毎日・・・


そんな日々を送っていたら、家に帰ると疲れ果てて、友達が出来ても心から楽しむことが出来ていないことに自分でも気が付いていました。


自分の意見をはっきり主張することが出来ない自分。
そんな自分が当たり前になっていったのです。
そんな日々が、高校を卒業して社会人になっても続きました。


今から思えば、凄くわかるのです!


小学校の転校を繰り返した経験と、生れつきの「HSP」気質により、
夫の「モラハラ」に対しても、やめてほしい!という思いが言えないで、
夫に合わしてしまう、夫の気分や考えに引きずられてしまう、
そして、自分を見失ってしまったのだと・・・

家庭崩壊寸前!

私が、不安障害という病気になっても、
夫の自己中心的で威圧的な言動は変わることはなく、
私は、夫に何も期待を持つことはしなくなり、
ただ二人の子供たちの将来のことだけを考えて、
自分の気持ちは押し殺して生きていこうと決心しました。

上の子が大学生になり、下の子はまだ中学生の頃でした。
その頃は、私も働きに行き、家事や子育てで大変ではありましたが、
仕事に行くことによって、唯一息抜きできる時間でもありました。

そんな時に・・・
夫の行動が変なことに気が付き、
いろいろと探ったところ、
どうやらキャバクラの女の子に入れ込んでいたことがわかりました。

「なんて奴!!私の苦しさも知らないで・・・」
その頃には、もう愛情もなくなっていました。
子供たちの父親。
生活のためのお金をもらう同居人。

夫は、そのお店にお金を使うようになってしまい、
家計も圧迫してきたので、私も心配でした。

その頃、住宅ローンの返済や、
上の子の大学の費用もかかり、
けっして余裕などあるはずもなく、
私一人が必至でやり繰りをしていた状態でした。
お金の不安はやっぱり大きくて、
日に日にまた私のストレスが大きくなっていきました。

朝から晩まで一生懸命に働き、職場の人間関係にも疲れ果てて・・・
それでも生活費を得るために、家のこと、
子供たちの学校関係のこと。




私だってやりたいこともあったのに!
全部あきらめて・・・
精一杯頑張ってきたのに!



あまりにも酷すぎる!


この時ばかりは、怒りを抑えることができませんでした。

夫とは顔を合わせたくはない!
言葉も交わしたくない!
でも言わないと、このままでは生活が破綻しまう!
子供だけは守らないといけない!

何のために、あの時「離婚」を封印したのか!
夫の暴言や嫌味にも耐えて、
我慢して、我慢して、
自分を押し殺して生きてきたのか。






どうして私ばかり、こんなに苦しまないといけないのか!
私の心は、もうズタズタに傷付いてしまったのです。


でも・・・
結局夫に言うことが出来ませんでした。

もう、駄目かもしれない・・・
もう、何もかも疲れた・・・
私は、本当に『あほやー!』
消えて無くなりたい・・・





いつの間にか、『死んだら楽になれるかも』
考えるようになっていったのです。

ある時、
車を運転していて、このまま電信柱にぶつけたら死ねるかも・・・
とスピードを上げていきました。




次の瞬間!

右から走行してきた車にクラクションを鳴らされて、
急ブレーキ!!
危機一髪で、衝突は免れました。

私は、死ねませんでした・・・

子供たちの顔が浮かんできて
涙が・・・
次から次へとぽろぽろと・・・





ホントーに馬鹿です・・・

大バカ野郎です!

モラハラ夫は変えられないのか?

こんなことをしてしまった私・・・
自分の身勝手な行為に情けない気持ちでいっぱいになりました。
そして、もっと強くならなければ!
と決心しました。

夫にもうお店に行くのは辞めてほしい!
私も今以上に一生懸命に働くので、子供たちを、家族を守ってほしい!
そう伝えることが出来たのです!

私からしたら、とっても勇気がいることでした。



また、逆切れされて、暴言を吐かれると思って怖くてドキドキしていたのですが、
夫は「わかった!」と一言。
この時ばかりは、夫婦で泣きました。
とても、不思議な感覚でした・・・

もしかしたら・・・
夫は、変わってくれたのかな!
かすかにそう思い安堵していました。





いやいや・・・

相変わらずの「モラハラ夫」は健在で、
自分の考えが甘かったと思い知らされました。



ずっと、ずっと、心は悲鳴をあげている。




そんなことに気が付かないまま、夫との生活を続けていきました。

本当に大切なことは!

そんな生活を続けて、もう28年になっていた時です。
職場の同僚から紹介されたセラピストさん。
その方に、私は救われました!

最初は、愚痴をこぼすようにおしゃべりしていましたが、
そのうち、涙、涙で大泣き!
友達や同僚には話したくなかったことも、うその様にそのセラピストさんにはどんどん話すことが出来ました。
私の心は軽~くなっていきました。



何度か、その方のカウンセリングに通いました。

モラハラを受けて、私はその時どう思って、どう感じたのか?
そんな私自身の感情を取り戻すことができました。




まずは、長い間傷ついた心を癒すことが一番!



自分の心を麻痺させてきたので、改めて自分の感情に向き合う作業は、それはそれで尚辛いことでもありました。

そして・・・

だんだんと自分は我慢しなくていいんだ!とわかるようになりました。
自分はどうしたいのか!
自分の明日に目を向けることがどれほど素晴らしいことで、
それが人生において本当に大切なことだとわかりました!

この世界に、ご主人の「モラハラ」に苦しんでいる方がたくさんいて、
心はひどく傷ついているのです!




少しでも早く、そんな辛い生活から抜け出してほしい!
ご主人の人生じゃなく、
あなたの人生を自分で決めて歩んでいってほしい!
そして、自分を大切にしてください!






私は、100パーセントあなたの味方です!

「運命を切り開くカウンセリング」 
七原莉沙